不登校の子どもが過去最多を更新し続けている。文部科学省の調査では、小中学生の不登校が30万人を超えた。
「不登校は甘え」という時代は終わり、今は「不登校という選択肢もある」という考え方が広まっている。フリースクール、オルタナティブスクール、ホームスクーリング。学校以外の学び方が認められ始めた。
吃音持ちとして、この変化を見ながら考えることがある。吃音があって学校が怖い子どもたちに、何を伝えられるか。
学校が怖かった、あの頃
小学校の音読の時間が嫌いだった。
順番が近づくにつれて、頭の中でシミュレーションを繰り返す。どこを読むか分かっている。でも声が出ない。詰まる。笑われる。先生は気づいていないか、気づいていても何もしない。
あの経験が、学校への恐怖につながっていた。「また笑われる」「また声が出ない」——そういう思いが積み重なって、学校に行くことが怖くなっていく。
不登校になる子どもの中に、吃音が原因の一つになっている子がいると思う。でも、吃音が原因だと気づかれていないケースも多いはずだ。
吃音は「いじめの標的」になりやすい
子どもの世界は残酷だ。
吃音があると、どもることを真似される。笑われる。「また詰まった」と面白がられる。そういう経験が積み重なって、学校が安全な場所ではなくなっていく。
吃音によるいじめは、外傷として残る。大人になっても、人前で話すことへの恐怖として残り続けることがある。
学校が怖い理由が吃音にある場合、それは子どもの弱さではなく、学校という環境の問題だ。
不登校という選択を否定しない
学校が怖いなら、無理に行かなくていいと思っている。
「毎日学校に行かなければならない」という常識が崩れ始めた今の時代に、吃音が原因で学校に行けない子どもが、自分を責める必要はない。
不登校になることで守られるものがある。心の安全、自己肯定感の保護、さらなるトラウマからの回避。一時的に学校から離れることが、長期的な回復につながることがある。
でも、社会とのつながりは保ってほしい
学校から離れることを否定しない。でも、社会から完全に孤立することは避けてほしい。
フリースクール、オンラインの学習コミュニティ、習い事、スポーツクラブ——学校以外にも、人と関わる場所はたくさんある。
吃音があっても、声を出さなくていい場面なら比較的楽に参加できることがある。文章でコミュニケーションできるオンラインコミュニティは、吃音持ちの子どもにとって安全な場所になりうる。
大人になった吃音持ちとして、伝えたいこと
学校が怖かった子どもが、大人になった立場から伝えたいことがある。
学校でうまくいかなかったことは、あなたのせいじゃない。笑った子どもたちが間違っていた。気づかなかった先生が間違っていた。あなたは何も悪くない。
そして、学校がすべてじゃない。学校でうまくいかなかった人間が、社会に出てから活躍している例はたくさんある。吃音があっても、できることはある。伝えられることはある。
今は怖くても、いつか必ず、自分の居場所を見つけられる。
社会が変わるべきだ
不登校が増えている背景には、学校という場所が多様な子どもたちに対応できていないという問題がある。
吃音のある子どもが安心して通える学校。音読を強制せず、吃音への理解がある教師がいる学校。そういう環境が当たり前になってほしい。
吃音という言葉を知っている先生が増えてほしい。吃音があっても「大丈夫だよ」と言える大人が増えてほしい。
不登校ブームを、社会が子どもの多様性に向き合うきっかけにしてほしいと、吃音持ちとして強く思っている。

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