SNSには、公開アカウントと鍵アカウント(非公開アカウント)という選択肢がある。
誰にでも見られる発信と、フォロワーだけに見せる発信。自分の発信範囲を、自由に選べる時代になった。
吃音持ちとして、この「発信範囲を選べる自由」が、どれほど精神的な支えになっているか、改めて考えてみたい。
すべてを公開しなくていいという安心感
吃音について発信することは、勇気がいる。
不特定多数の人に見られる場所で、自分の弱さや苦しさを公開することへの恐怖がある。批判されるかもしれない。心ない言葉を投げかけられるかもしれない。そういう不安が、発信のハードルを上げる。
鍵アカウントという選択肢があることで、その不安を軽減できる。信頼できる、限られた人たちにだけ、自分の本音を話せる場所を持てる。
段階的に発信範囲を広げるという戦略
最初から完全に公開で発信するのではなく、まず鍵アカウントで本音を書き、自分の考えを整理する。そこである程度自信がついたら、公開アカウントでも発信してみる。
そういう段階的なアプローチが、SNSという仕組みのおかげで可能になっている。吃音について話すことに慣れていない人にとって、これは無理なく発信を始めるための、有効な方法だと思う。
クローズドなコミュニティの価値
鍵アカウントやプライベートなグループチャットには、独特の安心感がある。
同じ悩みを持つ人たちだけが集まるクローズドなコミュニティでは、吃音について、より深く、より正直に話すことができる。外部の目を気にせず、本音をぶつけ合える場所は、メンタルを保つ上で重要な役割を果たす。
公開発信が持つ別の価値
一方で、公開での発信には、また違った価値がある。
不特定多数に届くということは、自分が想像もしなかった誰かに、言葉が届く可能性があるということだ。同じように吃音で悩んでいる、見知らぬ誰かが、自分の発信を見て救われることがあるかもしれない。
その可能性を信じて、あえて公開で発信を続けている部分もある。
両方を使い分ける自由
発信範囲を選べる時代だからこそ、鍵アカウントと公開アカウントを、目的によって使い分けることができる。
本音を整理したいときは鍵アカウントで。誰かに届けたい思いがあるときは公開アカウントで。この自由な使い分けが、吃音と向き合いながら発信を続けるための、大切な仕組みになっている。
自分のペースで発信する権利
発信範囲を選べる時代が教えてくれることは、発信は、すべてを一気に公開しなくていいということだ。
自分のペースで、自分が安心できる範囲から、少しずつ発信を広げていく。その自由があることに、改めて感謝しながら、これからも自分らしい発信を続けていきたいと思っている。

コメント