TikTok、YouTube Shorts、Instagram Reels——今の時代、発信力のある人間は例外なく「話せる人間」だ。
カメラの前で、流暢に、テンポよく、魅力的に話す。それができる人間が注目を集め、フォロワーを増やし、影響力を持つ。
吃音持ちとして、この現実を正直に言う。不利だ。かなり不利だ。
ショート動画は「声」が命
ショート動画の成功要因を考えてみると、最初の数秒のインパクト、テンポの良さ、聞き取りやすい声——これらが圧倒的に重要だ。
吃音があると、最初の数秒に詰まるリスクがある。テンポが乱れる。聞き取りにくくなることがある。
アルゴリズムは容赦ない。最初の数秒で離脱されれば、動画は伸びない。
それでも発信しようとしている理由
それでも、吃音があることを隠しながら発信しようとは思わない。
むしろ、吃音があることをコンテンツにしている。吃音という経験を持つ人間だからこそ書ける文章がある。吃音当事者だからこそ伝えられるリアルがある。
声の流暢さで勝負できないなら、内容で勝負する。文章で勝負する。体験の深さで勝負する。
テキスト発信という選択肢
ショート動画が全盛の時代でも、文章には文章の強さがある。
深く考えたい人は文章を読む。感情を動かす文章は、短い動画より長く記憶に残ることがある。noteやブログで積み上げたコンテンツは、動画より長期間読まれ続ける。
吃音持ちにとって、テキスト発信は武器になりうる。
時代が変わっても、伝えたいことは変わらない
ショート動画時代に「話せない」ことは、確かにハンデだ。でも、それはすべての可能性が閉ざされるということじゃない。
吃音があっても、伝えたいことがある。届けたい人がいる。その気持ちがある限り、発信を続ける意味はある。
流暢に話せなくても、誰かの心に届く言葉を書ける。そう信じて、今日も書き続けている。

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