小学校の音読の時間が嫌いだった。
順番が近づくにつれて、頭の中でシミュレーションを繰り返す。どこを読むか分かっている。内容も理解している。でも声が出ない。詰まる。笑われる。
あの経験は、今でも鮮明に残っている。そして今、改めて思う。学校教育は、吃音を持つ子どもたちを守ってこなかった、と。
まる読みという拷問
国語の授業でのまる読みは、吃音持ちにとって地獄だ。
全員が順番に読んでいく。自分の番が来る。吃音が出る。クラス中が聞いている。笑う子がいる。先生は気づいていないか、気づいていても何もしない。
この経験を何度も積み重ねた子どもが、どうなるか。人前で話すことへの恐怖が根付く。自己肯定感が削られる。「自分はダメだ」という感覚が染みついていく。
吃音は治療で改善できることもある。でも、小学校でついたトラウマはそう簡単には消えない。
先生たちに知識がなさすぎる
吃音について正しく理解している教師が、どれだけいるだろうか。
「緊張しているから吃るんでしょ」「もっとゆっくり話せばいい」——そういう的外れなアドバイスをされた当事者は多い。悪意はなくても、無知は傷つける。
吃音は緊張だけが原因じゃない。ゆっくり話せば治るわけでもない。神経や筋肉の問題が絡んだ、複雑なメカニズムがある。でも、そういった基本的な知識が教育現場に広まっていない。
配慮を求めることへのハードル
吃音があることを先生に伝えても、適切な配慮を受けられるとは限らない。
「みんな同じにしないといけない」という横並び文化の中で、特定の子どもだけ音読を免除するのは難しいとされることがある。でも、それは間違っている。
配慮は「特別扱い」じゃない。その子が他の子と同じスタートラインに立てるようにするための、当然の権利だ。
今の子どもたちに伝えたいこと
学校が守ってくれなかったとしても、あなたが悪いわけじゃない。
吃音があることは、恥ずかしいことじゃない。笑った子どもたちが間違っていた。気づかなかった先生が間違っていた。
大人になった今、自分の経験を振り返って思う。あの環境は間違っていた。でも、その環境を生き延びてきた自分は、ちゃんと強くなっている。
教育が変わるのを待ちながら、吃音を持つ子どもたちが少しでも楽に学校生活を送れるよう、声を上げ続けていきたい。

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