小学校のまる読みが、今も僕を苦しめている話

「次、〇〇くん読んで」

その言葉が怖かった。教科書を持つ手が震えた。どこを読むか分かっている。内容も理解している。でも、順番が近づくにつれて、頭の中でシミュレーションを繰り返して、結果的に声が出なくなる。

小学校のまる読みは、僕にとって地獄だった。

なぜまる読みで吃音が出るのか

吃音の厄介なところは、「意識すればするほど悪化する」ことだ。

まる読みは、自分の番が事前に分かっている。だから待っている間、ずっと「うまく読めるか」を考え続ける。頭の中で何度もリハーサルをする。そのイメージが膨らめば膨らむほど、実際に声を出す時に詰まる。

考えすぎることが、吃音を引き起こす。まる読みはその罠に完璧にはまった形だった。

笑われた記憶は消えない

声が詰まった瞬間、クラスの誰かが笑った。先生は助けてくれなかった。ただ待っていた。その沈黙の中で、僕はひたすら声を出そうとしていた。

その記憶は、大学生になった今でも残っている。

プレゼンの前になると、あの時の感覚がよみがえってくる。大勢の前で声が出なかった恐怖。笑われた記憶。それが、今のプレゼンへの苦手意識につながっている。

子どもに「失敗しろ」とは言えない

大学生になって、失敗を積み重ねることの大切さを知った。失敗しても死なない。失敗から学べる。そう頭では分かっている。

でも、小学生にそれを求めるのは無理だ。

吃音が出ると分かっているのに、自ら手を挙げて発表できる小学生がどれだけいるだろう。自分から挑戦することと、無理やりやらされることは全然違う。

無理やりやらされた失敗は、トラウマになる。自分から選んだ失敗は、糧になる。その違いは大きい。

トラウマとどう向き合うか

症状としての吃音は、だいぶ改善した。でも、トラウマはまだある。

プレゼンが怖い。大勢の前で話す時に緊張する。その原因は技術の問題じゃなく、あの頃の記憶だと分かっている。

だから今は、演技のワークショップに参加している。失敗できる安全な場所で、人前で話す経験を積み重ねている。少しずつ、あの頃の記憶を上書きしていくような感覚だ。

トラウマは消えないかもしれない。でも、薄くすることはできる。新しい経験を積み重ねることで、少しずつ。

焦らなくていい。ゆっくりでいい。

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