誰もがインフルエンサーを目指す時代になった。
フォロワー数が価値になり、バズることが目標になり、発信力がそのまま収入や影響力につながる。インフルエンサーブームの中で、「自分も発信したい」と思う人が増えている。
でも、吃音持ちにとって、この時代はどういう意味を持つのか。
発信の主流は「声」と「顔」
今の発信文化の主流は、YouTubeやTikTokの動画だ。顔出し、声出しが当たり前。魅力的に話せることが、インフルエンサーとしての基本スキルになっている。
吃音持ちにとって、これはハードルになる。カメラの前で流暢に話すことが難しい。編集でごまかせる部分もあるが、限界がある。
「発信したいけど、声が出ない」「動画を撮ろうとすると吃音が悪化する」——そういうジレンマを抱えている吃音持ちは多いと思う。
それでも発信することを選んだ理由
自分がこうして発信を続けているのは、声が出るからじゃない。伝えたいことがあるからだ。
吃音と向き合ってきた経験。誰にも言えなかった本音。同じように悩んでいる人への言葉。それを伝えるために、発信を続けている。
声がなくても、文章は書ける。動画がなくても、noteやブログで発信できる。フォロワーが少なくても、一人に届けば意味がある。
テキスト発信という選択
インフルエンサーブームの陰で、実はテキスト発信の価値が再評価されている。
深く読まれる文章、長期間検索されるブログ記事、感情を動かすエッセイ——短い動画では伝えられないものが、文章にはある。
吃音持ちにとって、テキスト発信は武器になる。声の流暢さで勝負できないなら、文章の深さで勝負する。表面的なバズを狙うより、一人の読者の心に深く刺さる文章を書く。
そっちの方が、自分らしい発信だと思っている。
吃音を「コンテンツ」にする
吃音があることを隠して発信するより、吃音があることを前面に出して発信する方が、独自性が生まれる。
吃音当事者にしか書けないリアルがある。吃音で悩んだ経験がある人間にしか伝えられない言葉がある。それは、どんな流暢なインフルエンサーにも真似できないものだ。
弱点をコンテンツにする。これが、吃音持ちが発信する上での最大の武器だと思っている。
フォロワー数より、届く人に届けること
インフルエンサーブームの中で忘れがちなことがある。発信の本質は、フォロワー数じゃないということだ。
一万人にバズるより、一人の人の人生を変える言葉を届けることの方が、ずっと価値がある。
吃音で悩んでいる誰かが、自分の文章を読んで「ここにも同じような人間がいる」と感じてくれる。それだけで、発信を続ける意味がある。
インフルエンサーブームに乗れなくていい。でも、発信することをやめないでほしい。声がなくても、伝えられることはある。

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