「自己肯定感」という言葉が、ここ数年で爆発的に広まった。
ありのままの自分を受け入れること、他人と比較せず自分を大切にすること。多くの本やSNS投稿で、自己肯定感を高める方法が語られている。
吃音持ちとして、このブームを見ながら、正直に問いたいことがある。吃音は、本当に「ありのままでいい」と言えるのだろうか。
「ありのまま」という言葉の難しさ
自己肯定感ブームの中で語られる「ありのままでいい」という言葉は、確かに優しい言葉だ。でも、吃音という特性に当てはめると、簡単には受け入れられない複雑さがある。
吃音は、社会生活の中で、実際に不利益をもたらすことがある。面接で評価が下がる。電話対応で苦労する。プレゼンで緊張する。そういう現実がある中で、「ありのままでいい」と簡単に言い切ることに、違和感を覚えることがある。
改善努力と自己受容、両方が必要
長年、吃音と向き合ってきて感じるのは、改善のための努力と、自分を受け入れることは、矛盾しないということだ。
吃音を改善するために、場数を踏んだり、ワークショップに通ったりしてきた。それは「ありのままの自分を否定する」行為ではない。より生きやすくなるための、前向きな努力だ。
同時に、改善しきれない部分、完全には消えない苦手意識も、自分の一部として受け入れている。改善と受容、両方が同時に存在していい。
自己肯定感ブームが見落としがちなこと
自己肯定感ブームの中には、「努力しなくていい」「無理に変わらなくていい」というメッセージが強く出すぎている部分もあると感じる。
でも、吃音と向き合う経験から言えるのは、努力すること自体が、自己肯定感を育てる過程になりうるということだ。何もせずに「ありのままでいい」と思い込むより、向き合って、少しずつ変化していく過程の中で、本当の自信が育つことがある。
「治さなくていい」と「治す努力をしない」は違う
吃音を「治さなくていい」と考えることと、「治す努力を一切しない」ことは、別の話だ。
吃音がある自分を否定せず、それでも生きやすくなるための工夫や努力を続けることは、十分に両立する。自己肯定感は、何もしないことで得られるものじゃなく、努力と受容のバランスの中で育っていくものだと思っている。
本当の自己肯定感とは
吃音持ちにとっての本当の自己肯定感とは、吃音があってもなくても、自分の価値は変わらないと信じられることだと思う。
吃音を改善する努力を続けながらも、たとえ完全には治らなくても、自分には価値があると思えること。それが、自己肯定感ブームが本当に目指すべき姿だと感じている。
ありのままでいいという言葉を、安易に消費するのではなく、自分なりの解釈で、吃音と向き合っていきたいと思っている。

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