日本でも多くのアスリートが、メンタルヘルスの問題を公に語るようになった。
「試合に出られない」「メンタルが限界だ」——かつてはタブーだったそういう発言が、今は勇気ある行動として称えられる。アスリートのメンタル開示ブームが来ている。
吃音持ちとして、この流れを見ながら強く思うことがある。
「強くなければいけない」という呪縛
アスリートは強くなければいけない、という固定観念があった。メンタルの弱さは恥だ。苦しくても表に出すな。そういう文化が長く続いてきた。
吃音持ちにも、似たような呪縛がある。
「吃音くらいで弱音を吐くな」「もっと練習すれば治る」「気にしすぎだ」——そういう言葉を、直接言われたり、空気として感じたりしてきた。吃音の苦しさを表に出すことへの抵抗感があった。
アスリートが「弱さを見せていい」という流れを作ってくれたことで、吃音の苦しさも「語っていい」という空気に少しずつなってきていると感じる。
メンタル開示が社会を変える
大坂なおみがメンタルヘルスを理由に記者会見を拒否したとき、最初は批判もあった。でも、彼女の発言が世界中で議論を呼び、アスリートのメンタルへの配慮が改めて問われた。
一人の勇気ある開示が、社会の認識を変える。
吃音でも同じことができると思っている。吃音を抱えながらも前に進んでいる姿を見せることで、同じように悩む人に「自分だけじゃない」と伝えられる。吃音への理解が広まるきっかけになる。
吃音の開示は勇気がいる
でも、正直に言う。吃音を開示することは、今でも怖い。
「変に思われるんじゃないか」「同情されるのが嫌だ」「吃音のせいにしていると思われないか」——そういう不安がある。
アスリートが数千万人のファンの前でメンタルを開示する勇気と、吃音持ちが身近な人に「吃音があります」と言う勇気は、スケールは違っても、同じ種類の勇気だと思う。
開示した後に変わること
吃音を誰かに開示した後、何かが変わる経験をしたことがある。
「そうなんだ、知らなかった」「気にしないよ」——そういう言葉をもらったとき、ずっと隠してきたものが少し軽くなる感覚があった。
アスリートたちが口を揃えて言う。「開示したことで、むしろ楽になった」と。吃音でも同じだと思っている。
弱さを見せることが、強さになる時代
アスリートのメンタル開示ブームが教えてくれることは、弱さを見せることが弱さじゃないということだ。
苦しさを認めること、助けを求めること、自分の限界を知ること——それは弱さじゃなく、自己認識の強さだ。
吃音があることを認めて、それでも前に進む。その姿勢こそが、本当の強さだと今は思っている。
アスリートたちが作ってくれたこの流れに乗って、吃音の話をもっとオープンにしていきたい。弱さを見せることが強さになる時代に、吃音を隠し続けることはもったいない。

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